秋海棠と文豪 [作家ばなし]
前回upした子規の『獺祭書屋俳話』に収録されている秋海棠の挿絵です。
亡くなる前年の日記に描かれたものだそうです。
秋海棠の花が咲くのは夏の暑さがようやく和らいで朝晩涼しくなり始める頃。蛍光がかったピンク色の花を吊り下げるように咲かせます。公園や学校の花壇でよく見かける「ベゴニア」と近縁種で花も草姿も似ていますが、秋海棠のほうが大型でしかも可憐です。
ピンク色の花弁の中心に鮮やかな黄色の花芯(筒蕊)の対比が美しい、練りきりのような粉質な質感の花。紅く浮き上がった葉脈が際立つ、少しざらついた黄緑色のハート型の葉。何処を見ても可愛らしい。水揚げも良く草姿も整っているので、ぱっと外に出てちょきんと切ってちゃぷんと活けただけでサマになります。病気にも虫にも強いので、我が家の庭ではほぼ放任生育。
頼りになる、お気に入り植物です。
秋海棠は湿った半日陰、例えば、大きな樹の株元であるとか建造物の陰のようなところで良く育ちます。薄暗いような場所で咲くから、ピンク色の花が際立つのですね。
病人であった子規の庭に咲く可憐な秋海棠は、死の淵にあった歌人を芸術へと駆り立てたのでしょう。絵の他にも、秋海棠の句もいくつか残っているようです。
それと、秋海棠と言えば永井荷風ですね。
ご存じの方が多いと思いますが、秋海棠の別名は「断腸花」。お馴染み「断腸亭日乗」の「断腸」は、秋海棠の事です。
荷風が暮らした大久保の家(父親宅)の庭に、秋海棠が盛んに育っていたそうです。その秋海棠の美しい様を、籾山庭後(籾山書店)が詠み残しています。
のちに荷風は大久保の家を出ますが、その時に鉢に移植して大久保の秋海棠を持って行きました。しかし、この鉢植えの秋海棠は枯れてしまったそうです。秋海棠は乾燥が苦手なので、鉢では水分が足りなかったのでしょう。
その後、芝公園から数株を譲り受け、庭先に植えました。それが根付き、花を咲かせるようになった頃に自宅を「断腸亭」と名付け、「断腸亭日乗」の執筆を始めたそうです。
秋海棠の、日陰を好むしめっぽさや、それとは対称的な無垢で可憐な風情に荷風は惹かれたのでしょうか?独居していた老作家が、賑やかに咲き誇る秋海棠に心なごまされていたのは理解できる気がします。
他にも秋海棠にまつわる作家ばなしがあれば、探してみます。
ご存じの方いらっしゃいましたら、ご教示ください。
荷風散人は胃腸が弱く銀座の病院へ長く通っていたと云う風なことを、何かで読んだ記憶がありますが、それも「断腸亭」の謂の内でしょうか。
口をへの字に曲げて苦痛に堪えているその顔を想像すると、ご本人には申し訳ないですが、散人のどこか普通人くさい一面が窺えるようで拙生は好きであります。
by 汎武 (2008-12-17 09:44)
>汎武さん
銀座に通院していたというのは初耳です。通院の行きに帰りに風月堂やラインゴルドで休んだのでしょうね。永井さんの事ですから、女給の容姿や客の風俗などをあくる事なく眺めていた様な気がいたします。
コメントありがとうございます。また是非いろいろとご教示下さい!
by ジョウビタキ (2008-12-17 10:42)